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「やるぞ!」って気持ち、続かないのが普通だよね?
外国語をやるぞっ!ってさ、思ったはいいけど、そのモチベーションって、だいたいすぐ消えるよね。
ほんとにね、「今度こそ!」って思った2日後には、なーんにもしてなかったりする。いや、2日ももたないときだってあるし。
最近もさ、「よし、今日からまた単語帳見るぞ!」って思ったくせに、スマホ開いてLINE漫画のアイコンが目に入った瞬間、秒でそっちタップしてる。で、「疲れてるしな…」って、いつのまにか漫画の世界に没頭してるの。
だってさ、自由時間って、貴重じゃん?
その時間を「勉強に使え」って言われても、「いや、いまは何も考えずにのんびりしたい…」ってなるよ。これ、わかってくれる人、絶対多いと思う。
でもさ、不思議と「外国語やってる」って気持ちは消えないんだよね
ここが自分でもちょっと謎なんだけど、全然勉強してなくても「自分は外国語をやってる人だ」って、なぜか思い続けてるんだよね。これ、図々しさの極みだと思う(笑)
だって、週に1回も机に向かってないのに、「語学学習者」っていう自分のアイデンティティは捨ててないの。
25年くらい前、小学校3年生のときに英語を習い始めて、それ以来、だらだら続けてきた英語。それだけじゃなくて、途中からフランス語とか中国語にも手を出してさ、まあ続かないんだけど、それでも「ああ、ぼくは外国語に関心のある人だなあ」って思ってる。
これってたぶん、「続けてる」って感覚が、「実際にやってるかどうか」じゃなくて、「気持ちの上で自分はやってると思ってるかどうか」なんだよね。
続けるって、つまり“惰性”でしかない
これ、語学だけじゃなくて、他のこともそうなんだ。
ピアノもね、ほんっとうに練習しない子だったのに、毎週ピアノの先生のとこに通って、7年くらいだらだら続けたの。宿題もやってないのに、先生の前で適当にそれっぽく弾いて、「ああ〜上手になったねえ」とか言われて、しれっと帰ってくるみたいな。
スイミングもそう。週1回だけ、自分よりちっちゃい子たちに囲まれて、「あれ?なんでぼくここで泳いでるんだっけ…?」って思いながら、気づけば15年も続いてた。
同年代の子たちはどんどん選手コース行って、ガチで筋トレして、タイム競ってるのに、ぼくだけいつまでもビート板でパシャパシャやってた(笑)
でも、そういうのも含めて「続ける」ってことなんだよ。
誰もがキラキラした努力とか、完璧な習慣化とか、目標達成型の継続ができるわけじゃない。
ぼくの場合は、だらだら、適当、惰性。
それでも結果的に、長く続けてるものがいくつもある。
「惰性は力なり」って座右の銘、どう?
よく言うじゃん、「継続は力なり」って。
あれね、ちょっとかっこよすぎると思うの。現実的じゃない。
ぼくが言いたいのは、「継続とは惰性であり、惰性とは力なり」ってこと。
だって、毎日コツコツやるなんて無理なんだよ、現実には。仕事も家のことも、子育てもある。そこに“毎日30分の語学学習”なんて、理想はそうだけど、現実にはできなくて当たり前。
でもね、たとえ3日坊主でも、数ヶ月サボってても、また気が向いたときにフラッと戻ってこれる。
それが惰性の力。
それでも続けてれば、ある日ふと、「英検1級とってみようかな」って思ったときに、思いのほか地力がついてたりするんだよ。事実、ぼくがそうだったから。
やる気より、「やってる気」
人ってさ、実際に行動してるかどうかより、「やってる気がしてるかどうか」が大事なんだと思うんだよね。
不思議だけど、「やってる自分」でいられれば、ちょっとのブランクとか気にならない。自己肯定感が下がらない。
逆に、「ちゃんとやらなきゃ」って思いすぎると、できなかったときに「自分ダメだな…」ってなって、どんどん嫌になっちゃう。
だから、図々しいくらいがちょうどいいの。「自分は語学やってるぞ〜」って、胸張って言えるくらいのメンタルでいよう。
未来の自分にも、優しくしていこう
でね、最近思うんだけど、「自分に優しく」ってよく言うじゃん。
でもほんとは、「未来の自分に優しく」って視点の方が、もっと大事だなって。
今やってることが、未来の自分を助けるかどうか。
そういう目線でちょっとだけ何かをやる。1単語覚えるだけでもいい。音声1分聞くだけでもいい。
「これ、未来の自分にとって楽になるかな?」って思いながら、ちょっと動く。
努力っていうのはさ、気合とか根性じゃなくて、
「未来の自分への思いやり」なんじゃないかな。
そう思えたら、少しずつでも続けていけるんだよね。だらだらでも、飽きても、また戻ってこれる。
おわりに:だらだら続けたら、なんか力になってたって話
というわけで、「モチベなんて続かないよね〜」っていう話から始まって、
最終的には「惰性でも続けてたら、ちゃんと実になるよ」っていう、ぼくの人生観みたいな話になっちゃった。
語学に限らず、何かを続けたいなって思ってる人にとって、「ちゃんとやらなきゃ」じゃなくて「やってる気がしてればOK」っていうスタンス、案外救いになるかもしれない。
だからね、ぼくはこれからも、英語もフランス語も中国語も、ヨガもピアノも、ちょこちょこサボりながらも、ずっと「やってる人」でいようと思うんだ。
それで充分じゃない?
少なくとも、今のぼくはそれでけっこう満足してる。