目次
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外国語の勉強って、なんのためにやってるんだろう?
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誰の役にも立たない、ぼくのゆる勉強法
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読めば読むほど驚く、同じ本なのに
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「成長しない!」→「英語に逃げる」→「でもこれ逃げ?」のループ
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外で日本語読むのが恥ずかしい理由
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外国語の盾を持った僕は無敵
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誰にも怒られない、ぼくの外国語遊び
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無害にゆっくり、でもちょっとだけ賢くなりたいんだ
1. 外国語の勉強って、なんのためにやってるんだろう?
「なんで外国語を勉強してるの?」って聞かれることは、まあないんだけど。知り合いのだれにも言ってないからね、ぼくが外国語やってること。妻はもうわかってる、ただの趣味だって。
でもまあ、別に外国に行く予定もないし、外国人の友達もいないし、急いで仕事に使う予定もない。強いて言えば、「いつか役に立ったらいいな~」っていう淡い期待と、「この言葉を覚えたら読書がもっと楽しくなるかも」っていう、ちょっとした下心くらい。
だから、ぼくにとって外国語って、資産づくりでもあり、寄り道でもあり、ただの趣味でもあるの。はっきりしない?うん、そうなの。あえてはっきりさせないでおくのがコツなんだよ。
2. 誰の役にも立たない、ぼくのゆる勉強法
ぼくの外国語学習って、めちゃくちゃ地味。
ひとことで言うと、「同じ本を何回も読む」っていうだけの方法。えっ、それだけ?って思うかもしれないけど、これがね、地味に効くんだよ。読んでるうちに、「あれ、ここ前は読めなかったのに、いまは読める……!」っていうのがちょいちょい起こるの。これが快感。
とはいえ、1回読むのにすっごい時間かかる。日本語の小説だってそれなりに時間かかるのに、それを外国語で読むんだよ?いくら多読は辞書ひかなくていいからって、スラスラとはいかない。
あ、ここで、ワンポイントアドバイスだけど、多読って300万語読んだら世界がかわる、っていうんだけど、ゴールが見えてるとついあせっちゃうのね。でもさ、これ、冷静に考えると、「100万キロウォーキングしたらやせる」みたいな話でさ、急ぐと疲れてかえってペースが上がらないから注意ね。
それでも読んじゃうのは、やっぱり「へ〜、そうだったんだ!」って驚けるからなんだろうな。モブのセリフとか、どっちの手でガードしたかとか、そんな細かい描写が、2回目3回目で急に見えてくると、ニヤッとしちゃう。
3. 読めば読むほど驚く、同じ本なのに
たとえば、あらかじめ邦訳を読んでても、いざ原文で読むと「あれ、こんなこと書いてた?」ってなるのね。自分の記憶力のなさにびっくりするけど、同時に、「だから何度読んでも面白い」っていう安心感もある。
この「知らなかったことが、ちょっとわかるようになる」って感覚が好きなんだろうな。勉強っていうより、発掘作業に近い感じ。考古学かもしれん。
4. 「成長しない!」→「英語に逃げる」→「でもこれ逃げ?」のループ
でもね、弱点があって。1周読み終わるまで、成長してる実感がほとんどないってとこ。
読むスピードも遅いし、視線が文字の上をただ滑っていくだけの日もある。そんなとき、「あ〜、なんか違うのやろ」と思って、フランス語から中国語に浮気したりするんだよ。
中国語の単語集はそれはそれで面白いんだけど、基礎単語ばっかりやってると、「まだ基礎かぁ……」ってテンション下がることもある。
で、数ページやって飽きて、得意な英語に戻る。「やっぱ英語は読みやすいな〜」って思いながらすらすら読んでると、今度は「え?これって逃げじゃない?」って罪悪感に襲われる。
そしてまた、フランス語に戻る──っていうループをずっとぐるぐるやってる。そうすると、頭が混乱してきて、意外と長く読めたりする。脳を騙すってこういうことかな。
5. 外で日本語読むのが恥ずかしい理由
ちょっと話は飛ぶけど、電車待ってるときとか、外で本読むときあるじゃん?ぼく、スマホで本読む派なんだけど、文字めちゃくちゃ大きくしてるのね。目が疲れるから。
だから、隣の人から見たら、もう内容が丸見えなわけよ。で、日本語で「賢くなる方法」「人生を変える7つの習慣」とか読んでると、ぼくの欲望がそのまま他人に晒されてる感覚になるんだよ。
「この人、賢くなって、自分を変えたいんだな……」ってバレるじゃん?恥ずかしいじゃん?
そこで登場するのが、そう、外国語の本!
6. 外国語の盾を持ったぼくは無敵
外国語の本って、読める人にしか読めないじゃん?つまり、内容がバレない。最強。
たとえ読んでるのが「ハリー・ポッターと賢者の石」でも、まわりから見たら「うわ、なんかすごそう……」ってなる。インテリ感をまとえるんだよね。ありがたい。
で、ぼくはその裏で、ハリーがチョコカエル食べてるシーンとか読んでるわけ。ハリーポッターと賢者の石で多読してて、僕が一番はっきり覚えてる単語はこれだよ。チョコカエル。
7. 誰にも怒られない、ぼくの外国語遊び
最近のお気に入りは、中国が舞台のラノベの登場人物の名前を中国語の辞書で調べてニヤニヤする遊び。スマホの辞書って神だよね。さらに気分が乗ってるときは、ChatGPTに「このセリフを中国語に訳して。ピンインもつけてね」とかお願いしてみたりする。なかなか便利な友人です。いつでも嫌な顔せず遊んでくれる。なぜか検索を頼むととたんに敬語になる。ちょっと距離を感じる。
あと、トイレに入ったときに、便座の説明が英語と中国語で書かれてるのに、トイレットペーパーの交換方法だけフランス語ってときがあって、「これはつまりフランス語話者以外はペーパー替えんなってことか?」とか一人でつっこんでる。
誰にも怒られない、誰にも急かされない、そんな遊び。無害でしょ?ぼくは、けっこう無害はおじさんなんだよ。
8. 無害にゆっくり、でもちょっとだけ賢くなりたいんだ
そんなふうに、ちょっとずつ外国語に触れて、ちょっとずつ理解できて、ちょっとずつ嬉しくなって、またちょっと戻る。成長はゆっくりだけど、でも、たしかにある。
一夜にして外国語がペラペラになったらいいな〜って今でも思ってるけど、そうじゃないことは毎日経験しているので、そういうものだとわかっている。
だって、これってぼくの「人生の余白」だから。
寄り道であり、趣味であり、でも確実に、ぼくを少しずつ変えていく何かだから。
そしてたぶん、娘たちに「すごーい」って言ってもらえる日がくるかもしれないしね。ふふふ。