こっそり 外国語学習

外国語学習者の日記、雑記。

外国語学習は「能書き」から始めたいタイプへ:自分に合った学習法を見つけるまでのリアルな話

📝要約

外国語を学ぼうと思ったときに、まず「学習法の本」から読む――そんな“能書き”から入りたいタイプの僕が、いろんな学習法に出会い、合わない方法に「これは違う」と感じながらも、自分に合うやり方を見つけていくまでの試行錯誤を語るよ。
単語帳、多読、発音へのスタンス、学習者たちの“言い訳”を手がかりに、自分にしっくりくる学び方を探った経緯。もしよろしければごらんください。


📚目次

  • なんでも“能書き”から入るタイプです

  • 「これじゃない感」が止まらない学習法たち

  • たどり着いた“自分仕様”の学習法

  • 発音は“自分を許す”ことから始めた

  • 「言い訳」も学習素材のひとつ


なんでも“能書き”から入るタイプです

外国語を勉強するぞ、って思ったとき、僕が最初にやったこと。それは……いきなり勉強じゃなくて、学習法の本を読むことだった。うん、いつものパターン。なんでもまず“はじめかた”の本から入りたいタイプなのよね。

語学に限らず、筋トレでも料理でも副業でも、スタート前に2〜3冊くらい“能書き系”の本を読んじゃう。「ああでもない、こうでもない」って書いてあるのを読んでるだけで、なんかやった気になっちゃうんだよね。本当は10冊ぐらい読もうと思ってた。でもまあ、いつも通り2〜3冊で飽きちゃった。

だから最近は、ルールを決めててさ。「とりあえず一冊読み終わるか、一冊目に飽きてからじゃないと次は買わない」って。だって10冊まとめて買ったら、後の7〜8冊はほぼ無駄になるの目に見えてるから。

土屋賢二さんも言ってたもん。「上下巻はまとめて買わない」って。下巻にたどりつかないリスクを考えると、それ正解すぎる。


「これじゃない感」が止まらない学習法たち

学習法の本にはいろんなアプローチが載ってる。音楽で学べ、単語帳は手作りがいい、辞書は引かずに多読しろ、とかね。でも、読みながら「これ、ちょっと違うな〜」ってのばっかりだった。

まず「手作り単語帳」。これは完全にムリ。めんどくさすぎて心が折れた。丁寧な人は本当にすごいと思う。でも僕にはその丁寧さはない。文房具は好きだけど、書く作業になると一気にやる気が蒸発する。

音楽学習法も試してみたけどさ、ジャスティン・ビーバーの「ベイビ、ベイビ、ベイビ、オーイエ」で語彙力が上がる気がしなくて……。いや、曲自体は好きなんだよ? でもこれで勉強しろって言われると、ちょっと違うな〜って思っちゃって。

デスティニーズ・チャイルドなんて速すぎて、何回聴いても「え、今なんて?」ってなるし。音楽って、結局は自分のテンポで読めないから、僕には合わなかった。

あとペンパルを作ろう!」っていうアイデアもあったけど、それもパス。他人とのやり取りがどうにも苦手で…。ていうかそもそも、そんなに他人の話に興味が持てないタイプなのよ。冷たいと思われるかもだけど、ほんとに内向的なの。

会話練習アプリも紹介されてたけど、正直言って、使う気がまったく起きなかった。誰かと話すの、そもそもそんなに好きじゃないし、知らない人と英語で会話を続けるって、心のハードルが高すぎた。アプリ開いてログインする前に、精神力が尽きる。


たどり着いた“自分仕様”の学習法

そんな感じで、いろんな方法を読みながら「これは違う、あれも違う」ってやってたら、残ったのが「既成の単語帳」と「多読」だった。

市販の単語帳を買って、ただぼーっと眺める。声に出したり、書いたりしない。とにかく見るだけ。寝る前に、目を細めながら眺めるくらいのテンション。気合も根性もいらないスタイル。

そして多読。これはね、最初から「意味がわかる」なんて思ってない。むしろ「どうせ最初はわからない」前提。だから僕は先に邦訳を読むんだよね。多くの学習法の本では、「訳文を読むな」って書いてある。せめて映画を観てイメージをつかめって。

でも、映画って苦手なの。長いし、映像に集中しないといけないし、何より疲れる。だから僕は、普通に邦訳の本を読む。内容をざっくり頭に入れてから、原文を何度も読む。そうするとね、不思議とちょっとずつわかってくるんだよ。完全に理解できてなくても、「ここはたぶんあのシーンかな〜」って思いながら読むと、自然と馴染んでくる。

この方法、僕の中ではけっこうしっくりきてる。いろいろ試して、忖度なしで自分に合うのだけ残した結果がこれ。一人でもくもくとやってるから静かなもんだけど、頭の中は学習法の批評だらけ。

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発音は“自分を許す”ことから始めた

で、発音ね。これも悩みどころだった。世の中には「まず音から」「発音命」みたいな人も多い。でも、僕は英語スピーチコンテストに3年連続で出て、ぜんぜん結果が出なかった人間なの

あれでね、「もう、発音とか気にしないでいいや」って思えた。非ネイティブらしさ、むしろアリでしょ。僕の場合、アクセントだけまあまあ合ってればいいかな、って思ってる。

韓国のアイドルが「よろしくお願いちまちゅ」ってなっちゃうの、かわいいし通じるし、全然OKでしょ。桃井かおりさんも「私の英語は相当“桃井風”らしい」って言ってたし、それでいいんだよ。そう思ったら、肩の力が抜けた。

自分の発音に細かくこだわってたら、永遠に最初のページから進めないからさ。だから「通じればいいじゃん」って、自分を全面的に許すようにしてる。これ、すごく大事。

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「言い訳」も学習素材のひとつ

そういえば、いろんな語学学習法の本を読んでて一番おもしろかったのは、「著者たちの言い訳」がところどころ見え隠れするところだったかもしれない。

直接的にはあんまり書かれてないんだけど、「リスニングが得意じゃなかったからこうした」とか、「話すのが苦手で」とか、そういう“背景”をにじませつつ紹介される学習法って、すごくリアルなんだよね。

読んでるうちに、「あ、自分と似てるかも」って思うことが増えて、それだけで少し安心できる。だから、その“にじみ出る言い訳”を拾い集めて、僕の言い訳ストックにしてる。

「これは苦手でもいいんだ」「こっちは飛ばしてもいいんだ」って、根拠のある免罪符がどんどん増えてくの。これがね、続けるコツだったりする。

そんなわけで、今日も僕は、既成の単語帳をぼんやり眺めながら、何回目かの小説を原語で読み返すわけです。誰にも見えないけど、僕の頭の中では今日もいろんな“えり好み”が繰り広げられてる。

国語学習って、ほんとに人それぞれ。だから僕はこれからも、自分に合う方法を、ちょっとずつ選びとっていこうと思ってる。