勉強をサボっていたのに、なぜか外国語が読めるようになっていた話
ここ最近、なんとなくバタバタしていて、外国語の勉強がぜんぜん手につかなかった。
気づけば、2週間くらい何もしていなかった気がする。いや、正確には「何もしていなかった」というより、「あえて何もしなかった」わけじゃなくて、ただ流れるように日常を過ごしていたら、勉強から自然に離れてしまっていた感じ。
でも、こういう「ちょっとお休みの期間」って、実は悪いことばかりじゃないのかもしれない。むしろ、最近ふと思ったのは、「時間を置くと、なぜかちょっとだけ外国語ができるようになっている」という、なんとも不思議な現象のこと。
外国語学習は「すぐに定着しない」ことを前提にしてもいい
たとえば、久しぶりにフランス語の文章を読んでみたとき、前よりもスラスラ読めるようになっていた。もちろん、完全に理解できているわけではないけれど、「ん?意外といけるな」という実感があった。
こういうことって、たまにある。
がんばっている最中はなかなか進歩が見えないのに、ちょっと間が空いたあとに、ふとできるようになっている。これって、勉強した内容がすぐに身につくんじゃなくて、時間をかけてじわじわと染み込んでいくんじゃないかと思う。
今日の勉強が来月の「当たり前」になることもある
なんというか、種をまいて水をあげて、それから芽が出るまでには少し時間が必要で。焦って芽が出るのを見ようとしても、すぐには見えない。けど、ちゃんと育ってる。そんな感じ。
だから最近は、「ああ、今日勉強したことって、きっと来週とか来月の自分が使えるようになるんだろうな」って考えるようにしてる。目の前の進歩が見えないときって、ちょっと不安になるけど、そういう時間も無駄じゃないんだなと思えるようになった。
「読むだけ」の外国語独学でもちゃんと成長する
僕は昔からずっと、読むだけの学習スタイルで外国語を勉強している。
会話はしないし、リスニングもほとんどしない。書くこともあまりない。つまり、読むだけ。黙って読んで、黙って考えて、それで満足してしまう。
「言葉って、使わなきゃ身につかないよ」とよく言われるけれど、使わないからこそ、純粋に「理解すること」そのものを楽しめるっていう一面もあると思う。
読んで、意味が分かる。その瞬間に「あ、なるほど」ってなる感覚が、僕にとっては一番のごほうび。
リスニングしていなくても耳が育っていた?という体験
そんな僕だけど、あるとき、ちょっと気まぐれでフランス語の動画を見てみた。たぶん半年ぶりくらいの「リスニング体験」。当然、ぜんぜん聞き取れないだろうなと思っていたのに、意外にも「まったく分からない」ということはなかった。
ところどころ単語が聞こえてきたり、話の流れがなんとなく分かったりして。
あれ?って思った。
リスニングの練習はしてない。でも、読んでたおかげで、耳も少し育ってたのかもしれない。自分では気づかないだけで、言葉って、目から入れても耳に届くし、読むだけでも感覚はちゃんと育つものなんだなと思った。
バランスをとらなくても「読解中心」で外国語力は伸びる
読解中心の勉強でも、ゆるやかに語学力は底上げされていく。全部をバランスよくやらなくても、自分に合った方法で、自分のペースでやっていれば、ちゃんと成長していけるんだなというのが、最近の発見。
英字新聞をたまに読むだけでも、英語にふれる習慣になる
英語も、たまに勉強している。といっても、これもまた「読むだけ」。その一環として、英字新聞を買うことがある。
定期購読しているわけではなくて、ほんとうに気が向いたときだけ。コンビニでたまたま目に入って、「あ、今日はちょっと読みたいな」と思ったときに1部だけ買ってみる。
1部読むのに何日もかかるから、定期購読してしまうと、プレッシャーになってしまいそうで…。でも、そうやってたまに買うスタイルが、自分にはちょうどいい。
読めるところだけ読む。分からないところは飛ばす。それくらいのゆるさでちょうどいい。
英語を読む「どや感」と、読み終わったあとの意外な活用法
それに、英字新聞をバッグに入れて持ち歩いているときの、あのちょっとした「どや感」が好き。なんとなく、自分がかしこくなったような気がする。実際は3分の1も理解できていなかったとしても、それでも「読もうとしてる自分」にはちょっと誇らしい気持ちになる。
ちなみに、読み終わった新聞は、雨の日に濡れた靴の中に丸めて突っ込んでおくと、意外と早く乾く。これは昔どこかで聞いた生活の知恵なんだけど、今でもたまに使ってる。
新聞って、読むだけじゃなくて、そういう使い道もあるんだなって思うと、なんか愛着が湧く。
続けるだけでも語学力は伸びる。読むだけでも十分に意味がある
そんなこんなで、最近は「がんばるぞ!」っていう感じではなく、ほんとうに静かに、ゆるやかに外国語に触れている。
進んでいるのか、停滞しているのか、正直よく分からない日もあるけど、それでもたぶん、やめなければちゃんと前に進んでいるんだろうなと思ってる。
成果がすぐに見えなくても、「あとでちゃんと効いてくる」って信じて続けていく。今日読んだことが、来月の自分にとっての「当たり前」になる日を、楽しみにしながら。
読むだけの学習でも、ちゃんと育つ。それが少しずつ分かってきた今、言葉と向き合う時間が、前よりちょっと好きになった。