「英語のやり直し」とかってよく言うじゃないですか。
まだ間に合う!とかさ。社会人の学び直し!とかさ。いや、気持ちはわかるんだけど、そもそもその言い方、ちょっとよくないよね。
「やり直し」って言われるとさ、まるで自分がちゃんとできてなかったみたいじゃない?
最初に積んだものを崩して、また一から組み直さなきゃいけない感じ。
しかもそれを「まだ間に合う」って……なんかもう、始める前から疲れちゃう。しんどいって。
でもね、外国語学習って、そもそもそういうもんじゃないんだよ。
組み直す必要なんてないの。いま自分が立ってる場所に、ただ積み重ねていくだけでいい。
たとえば今の自分が英語を使えないのは、単に「量が足りてない」だけ。
間違ってたわけじゃないし、ゼロに戻る必要なんてどこにもないの。
英語ペラペラに話してる人たちも、よく見たらけっこう欠けてる部分あるよ?
でもさ、欠けてないところで勝負してるだけなんだよね。
ぼくたち日本語ネイティブだって、たとえば太宰治の文章とか、読むのちょっとめんどくさいじゃん。
でもだからって、「日本語を一からやり直そう」とか思わないでしょ?
なんとなく何冊か読んでみれば、そのうち慣れてくるし、読めるようになると思うんだよね。
敬語が苦手な人が、なんで赤ちゃん言葉から始めなきゃいけないんだよって思う。
それなら敬語を練習すればいいじゃん。その中に「てにをは」も入ってるし、言い回しもセットで身につくよ。
発音とかイントネーションが変だったら、そこだけやればいい。
それで十分。そしたら、ちゃんと「間に合う」んだよ(笑)。
ぼくは今、中国語を趣味で勉強してるんだけど、もうすぐ3年経つのに、まだペラペラ話せない。
そりゃまあ、基礎がまだちゃんと身についてないのもあるけど、一番の理由は「勉強時間が足りてない」ってだけ。
もうほんと、それだけなんだよね。
だからさ、「やり直し」とか言ってモチベーションを下げるより、
今持ってるテキストでも、新しい講座でも、とにかく何かを足していけばいいのよ。
積み重ねていく。それだけでいい。崩す必要なんてないのよ。
ね、やり直さないの(笑)。
そしてね、趣味でやってる外国語学習のいいところって、
できなくても誰にも迷惑かけないってことなんだよね。
これ、けっこう大事な視点だと思う。
誰かに謝らなくていいし、テストもない。間違えても平気。
だからこそ、楽しく続けられる。
もちろん、仕事に使うなら、それなりに勉強は必要だけど、
それは「その分だけやればいい」っていう、すごくシンプルな話。
仕事にすれば、「やらなきゃいけないこと」が自然と明確になるしね。
ぼくの職場には、中国語しか話せないお客さんが定期的に来るんだけど、
だから、そのときに使う言葉だけでも覚えなきゃなーって思ってる。
こうやって「必要に応じて覚える」っていう発想、なんか大人っぽくない?
昔のぼくなら、「全部できなきゃ恥ずかしい」とか思ってたけど、
最近は「100点じゃなくてもいいや」って自然に思えるようになった。
これって、わりと良い年の取り方なんじゃないかなーと思ってる。
それもこれも、行き当たりばったりで外国語を学んできたおかげかな。
「完璧じゃないけど、まあいいか」って思える余裕って、なかなか貴重だよね。
今の技術で外国語が話せなくても、10年後にはもっと便利なツールが出てるはず。
だったら、そのときまで気楽に続けてればいいじゃん。
でも「どうしても早く使えるようになりたい」なら、目標をはっきりさせること。
そして、そのために必要なところだけを集中して勉強すればいい。それで十分。
要は、「いまの自分を崩さないこと」。
やり直しじゃなくて、上に上に、積み重ねていくこと。
それが語学学習の本当の醍醐味なんじゃないかな。
ということで、ぼくは引き続き、勉強つづけます。
ゆっくり、でも確実に、今日も新しい言葉をひとつだけでも覚えよう。
やり直さないで、前に進もう。